思い出語りと「推す」ということ

何かのコンテンツを好きになったときに、あとから思い返せばあの時も見ていたのにな、ということはよくある。

同じコンテンツでも、こちら側の状況とか、タイミングとかいろんな問題で、以前触れたときには全く刺さらなかったのに急に魅力を感じたり。

あの時好きになっていれば、あれもこれもリアルタイムで楽しめたのに惜しいことをしたなと思うことが多々ある。

好きになった後で思い返すのは結構面白くて、あの時どうしてはまらなかったのかとか、あの時これ見てたらはまってたかもとか、もしもの話を考えると楽しい。

 

私にとってのなにわ男子にも、何回かあの時ポイントがある。

 

好きになったのは2023年9月なのでまだつい3か月前の話。

なにわ男子が結成されてからは約5年くらい経っているので、私は5年間好きになるタイミングを逃し続けたということになる。

彼らが事務所に入ってからと考えるともっと長い。初心LOVEのMVですら初めて見たのは1年後の2022年秋ごろという情弱ぶりなので、ジュニア時代やグループ結成前に好きになっていた世界線はもしもとしても想像しづらいけれど。

 

覚えている限りで一番昔に触れるタイミングがあったのは、12年ほど前。

当時、学校のそこまで親しくない同級生で関西ジャニーズジュニアを好きな子がいた。文化祭のグループ分けでたまたま一緒になったその子から、何故か激烈におすすめされたのが、今思えば西畑大吾だった。

当時の彼は高校1年生で、事務所に入ってまだ数年の時。ジュニア時代のことはほとんど知らないので、その時西畑さんがどういう立ち位置だったのか分からないが、入って数年の西畑大吾を見出していたあの子の選球眼はすごい。

あと、文化祭準備の少しの期間だけで私におすすめしてくれた熱量も、今考えるとすごい。松竹座とかにも足を運んでいたのかな。

 

あの時もし西畑さんを好きになっていたら、そのままなにわ男子を知っていただろうし、結成当時から応援していたかもしれない。

好きになってまだ3か月なのにドキュメンタリーとかから想像を膨らませてしまって、なにわ男子を西畑大吾の物語として見てしまう節があるのだけれど、当時から好きだったらどう解釈していたのかもとても興味がある。西畑大吾の物語としてもっと深みをもたせていたのか、はたまた違う側面が見えていたのか。

 

まあ結果的には好きにはなれなかった。単純な話で、その当時の私には同世代の男性をかっこいいと推せる感性がまだ育っていなかった。かといって可愛いと愛でるほどの母性もなかった。西畑さんは完全な同い年なのだけれど、もう少し年上なら好きになっていたかもしれない。

あの時は結局、かっこいいね、みたいな当たり障りのない会話をして終わった。

色々考えてみたが、このタイミングで好きになるのは難しかっただろうなと思う。せっかくおすすめしてくれたあの子には申し訳ないが、男性アイドル、ましてや同世代を推す土台が整っていなさすぎた。アイドルが誰であったとしても、完全にこちら側の受け入れ態勢の問題でタイミングが合わなかった。

 

 

ここまで書いていて感じたが、異性のアイドルを推す、という感性はいろいろな経験をすることで後天的に芽生えるものだと思う。

ここでは一旦恋愛対象が異性の場合の、異性アイドルに限定した話になるが、「推す」と「恋」はもちろん違う。世の中には「ガチ恋」というジャンルもあるのでややこしいが、その感情は私自身があまり理解できていないので一旦置いておく。

「推す」と「恋」は違う。「推す」の中でも個人的にはアイドルの年齢によっても異なると思うので、年上、同世代、年下に大きく分けてみる。

 

年上を「推す」のは個人的には一番想像しやすくて、比較的子供の時からある感情だと思っている。実際、私が小学校の時に、まわりには嵐ファン、KAT-TUNファンがたくさんいた。特にKAT-TUNが分かりやすいけれど、これは「憧れ」の延長だと思う。

大人で、自分ができないことをしている。キラキラ輝いている異性に憧れる。

この場合、「恋」もそこまで変わらない気がする。年上に恋するのははしかみたいなもの、なんてよく言われるけれど、本気で相手を大事にしたいとか、そういう感情ではないことが多い。(と思う、まだそれを語れるほど理解していない。)

年上アイドルも同じで、年上のお兄さんに恋する感覚で推しているんだろうなと思う。

で、大人になったあとも、そのアイドルはずっとお兄さんなので、ずっと自分の先を行く人として、自分の青春を彩ってくれた人として憧れで居続けるんだろうなと思っている。

 

年下を「推す」というのも比較的想像しやすい。

一言でいうと、「かわいいから応援したい」という感情だと思う。

なにわ男子でいうと、長尾くんをみていると、「かわいいなあ、生きてるだけで可愛い。自分がCDを買ったりすることがまわりまわって、彼の今後の人生を応援できればいいな。」なんてまあまあ気持ち悪いことを思ってしまうことがあるけれど、たぶんそんな感じ。長尾くんは特にそういう売り方なんだろうけど、お母さん世代のファンの方からしたらたぶん全員そんな感じなんだろう。

それとは別に、お金持ちが芸術家のパトロンになる感じとも近い気がする。自分では使いきれないお金だったり愛情だったりを、自分が見込んだ魅力的な人に注ぎたい、みたいな感情。パトロンは注いだ先にある利益とかも見ているけど、アイドルの場合はリターンは利益というより、注ぐことそのものの幸せとか、そういう感じだと思う。

個人的には、長尾くんもそうだけど、なにわ男子そのものもそういう気持ちで推している。だから曲が好きとか顔が好きとか色々あるけど、「なにわ男子」というコンテンツが愛情を注ぎやすいから好き、という側面もあるのだと思う。

 

同世代を「推す」というのが難しい。これが理解できなかったから今までアイドル周辺の文化に触れてこなかったし、今も完全には分かっていない気がする。

憧れているわけではないし、弟とか息子とかの感覚で愛情を注いでいるわけでもない。でも恋でもない。じゃあ何なんだ、という感じ。

現時点で、一番近いのは信仰だと思っている。神として崇めているわけではないけど、同じフィールドにいる人間として見ているとも少し違う。自分の世界の延長線上にいる人だとは思っていない、みたいな。

信仰だから、年上年下と比べて少しリターンを求める傾向にある気がする。(これは私の信仰に対する偏見があるかもしれない)

よく、推し活が辛い、という発言をする人がいる。

正直今まで理解できなかった。恋じゃないんだから、つらいも何もないでしょうよと思っていたし、憧れとかかわいいの好きなら、好きなのやめればいいと思っていた。

ただこの信仰の好きって、同じ世界の延長線上にいれば「恋」に近いと思うので、簡単にはやめられないし、自分の中で作り上げたそのアイドルの理想の姿を信仰しているのでそこから外れたことがあると裏切られた気持ちになったりする。理想の姿と違うことをされると、自分と同じ世界にいることを思い出してしまう、つまり片思い状態みたいになって、それが辛いのかなと推測している。

アイドルファン歴が浅いので来年にはあーこれ違ったなと思うかもしれないが、現状はそういう解釈をしている。

 

私にとって、西畑さんはなにわ男子で唯一この推し方かもしれない。他のメンバーは、グループそのものと同様に、同世代の丈くんや大橋くんも含めてまるっと可愛いなあ、で応援しているのだが、西畑さんに可愛いから応援したいなと思ったことはない。かといって憧れのお兄さんという感じでもないけど、推してはいるのでカテゴリーとしてはここになると思う。

まだ好きになって日が浅いので、辛いと思ったことはないが、辛いと思いそうな可能性は秘めている。別に7人の中で一番好きなわけでもないのに、なにか得も言われぬ魅力を感じるのもそういう推し方をしているからなのかもしれない。

 

まあ結局、「推し」という言葉の定義がどうであれ、日々なにわ男子を見て幸せを感じていることにかわりはないので、不毛な考察だったかもしれない。

 

幸せを売る仕事

なにわ男子にはまった。

 

今までアイドルにはまったことがなかったので、戸惑いながらも日々が幸せで仕方がない。

仕事終わりに「あ、火曜日だからYouTube見よう」とか「18時過ぎてるから今日の日刊更新されてるかな」と思えることがこんなに幸福感があるとは思わなかった。

仕事と私生活以外に、もう一つ「なにわ男子」というカテゴリーの時間ができた。やることが1.5倍になって忙しいはずなのに、仕事も普段の生活もるんるんで過ごせている。

 

ファンクラブにも初めて入った。

メッセージ動画とか写真とか、たくさんあって、どうやら年賀状まで貰えるようで、さすがに幸せ過ぎる。

 

日々いろんな形で幸せを提供してくれるので、これがアイドルか!となっている。アイドルは夢を売る仕事、と昔から言われているけれども、幸せを売る仕事でもあるなあと実感する。売るっていうか、コンテンツによっては無料で提供してくれているものもあるので、もはや幸せ配り状態。申し訳ないほどの供給に溺れそうになっている。

 

アイドルにはまったのははじめてだけど、触れるコンテンツひとつひとつのことははじめてではないことも多い。

例えばCDを手に取ったときの高揚感は、今までも好きなアーティストのCDで感じたことがあったし、レギュラー番組やYouTubeの更新を楽しみにする感覚は、好きなテレビ番組や続きが楽しみなドラマやアニメで何度も感じたことがある。

そういう思い出は全部、幸せな思い出だし、あのバンドのCDを買った時も、はじめてライブで生で聞いたときも、あの芸人の出演番組を追いかけているときも、あのドラマを夢中で見ていた時も全部幸せだったけど、今回はそのどれも超えている。

 

この違いは何か考えるのは、というかそもそも貰った幸せの大小を比べるのは野暮かもしれないけれど、どうしても考えたくなった。

 

結論から言うと、答えは出ていない。

正確に言うと、たくさんの要素は浮かんでいるけれど、しっくり来ていない。

なのでこうしてブログを書くことで、人の目に触れる文章にすることで自分の中で言語化できればいいなと思っている。

とりあえず、好きなところ、幸せに感じたポイントをたくさん書きたい。

 

なにわ男子の魅力はたくさんある。

かっこいいし、かわいいし、曲も好きだし、明るくて見ていて楽しい。

同世代で、同じ関西ということもあってなのか、面白いと感じる部分も多い。

それぞれの個人としても魅力がある。

西畑さんは、The赤。黙っていても後ろにいても端っこにいても見てしまうような、得も言われぬ魅力がある。

流星くんは、かわいくてかっこいい。ダンスも素敵だし、お芝居しているところも好き。あと面白い。

長尾くんは、かわいい。のにふとしたときにかっこいい。魅せ方が上手だし、こちらの需要を分かったような振る舞いがかわいい。

みっちーは、美しい。あと、アイドルというものが好きなんだろうな、と感じさせてくれるところも魅力的。

高橋さんは、イケメン。あと歌声に色気があって、彼のパートがあることで曲が一気に色づくような声。

丈くんは、The陽。冷たい陽じゃなくって、周りを巻き込む温かさのある陽。あと声が甘くて優しい。

大橋くんは、パフォーマンスが素敵。あと、笑顔も素敵だけど、真顔や真剣な顔に引き込まれるような魅力がある気がする。

 

改めて書いてみると、個人個人が魅力的で「なにわ男子」という、アイドルという箱と関係なく輝きのある人たちだなあと思う。でもその箱がなければ私が彼らを知ることはなかったかもしれないし、例えば「俳優西畑大吾」がいて、ファンになっていたとしても、ここまでの幸せを感じることはなかっただろうなと思う。

個人でも輝きはあるのだけれど、ひとたびアイドルという箱に入ると、その輝きとはまるで種類の違う魅力を纏う人になる。同じ人なのに、自分の輝きを商品として売る人から、幸せを売る人に変わる気がする。

そう考えるとアイドルは不思議な職業で、昔から夢を売る仕事、なんていう抽象的な言い方で言われているのも頷ける。なんというか、よくわからない仕事だなと。

 

私は前からこの事務所の方たちを応援していたわけではないのでわからないけれども、色々な問題がある中で、彼らを取り巻く環境は、彼らが憧れた人たちとは変わってしまうんだろうなと思う。もしかしたら、アイドルという箱は今までのように長くは続かないのかもしれない。

だからこそ、せっかく見つけた彼らが、アイドルをしてくれている貴重な時間のうちに、くれる幸せをたくさん買いたいなと思う。